菅直人と与謝野馨は首を吊って死ぬべき

菅内閣に経済担当相として与謝野が入閣しました。もし仮にこの二人が思うがままの治世を行ったなら、この国は沈没します。

なんでか。それは二人が消費税の増税を信条にしているからです。消費税が上がれば物価が上がり、一方で貯蓄や給与は増えないので消費減退の効果を及ぼします。つまり景気が悪くなります。簡単なことですね。

こんな簡単な話なのに、多くの国民が消費税増税やむなし、と考えていると聞きます。なんでか。「国債の大量発行で将来世代の負担が増す」だとか「未来を託す子供達に負の遺産を残して良いのか」なんていう台詞にコロッと騙されるからなんだと思います。いかにも真っ当そうに響く言い回しなので騙される人がいることは理解できますが、こういう人は哀れですね。オレオレ詐欺に引っかかるのと大差ないです。

国債は政府にとっては負債ですが、国民にとっては資産です。当たり前ですね。「政府の借金を返さないと大変なことになる」と騒ぐ爺には一言、「誰に返すのですか」と問えば一発で黙るのです。もちろん返す相手は国民です。国民に金を返すために国民に増税するなんてわけがわかりませんね。それに国債には利息が付きますが現金には付きません。だから誰も金返せなんて言いません。

もちろん慢性的な財政赤字は国家にとって問題です。この問題を解決するにはそもそもなぜ財政赤字になったのかを理解して、適切に対処しなければなりませんが、全然なされていません。

財政赤字の原因は何か。当然ながら長引くデフレ、景気の低迷です。決して消費税率が低いからとか減税したからとか行政の無駄が多いからでは無いのです。それなのに行政改革、規制改革のようなよくわからないことをやって経済が好転すると念じてきたのが近年の日本政府であり、これは菅内閣にも脈々と受け継がれているというわけです。まともに経済対策を行ったのは小渕や麻生くらいでしょうか。他は消費税を上げたり公共事業費を減らして喜んだりとまさに気の触れたおかしな政権ばかりでした。

社会保障費が嵩むので増税する、といわれます。そういわれてそんなもんかと思う人はやはりどこかおかしいですよ。まず、増税しても社会保障そのものには変化がないところに注目してください。増税してもしなくても社会保障の水準は同じなのです。増税しなければ国債発行などで賄うことになりますが、その場合に何か支障があるかというと、ありません。なぜか。

この手の話はお金で考えるから訳がわからなくなるのです。人間は数字に弱いものですから、一旦数字のことは忘れましょう。

国民が毎日労働をして生み出している「富」があります。社会保障というのはこの富を経済弱者にどれくらい配るかという話に過ぎません。その予算を増税に求めようが国債に求めようが、保障の水準が同じならば国民全体の富に占める割合は同じなのです。ですから「高齢化にともなって増大する社会保障費を賄うために増税が必要」なんていう言い回しは完全なまやかしなのです。議論すべきは社会保障の適切な「水準」なのです。社会保障が重荷になって大変だというならばこの水準を下げるという話をしなければいけないのです。もっとも私は下げる必要など無いと思っています。我が国には蓄積された国富が堆く積み上がっているからです。

消費税を社会保障のために目的税化する、という話を聞きます。そもそも増税することが馬鹿げた話なのですが、目的税化と言っておけば受け入れられやすいなんて考えているからこんなことを言うのでしょう。どうしようもない馬鹿者です。目的税といえば、最近ではガソリン税道路特定財源が問題になったように、将来高齢化が止まって老人が減ったときに社会保障予算が余りまくって超高級老人ホームが乱立するかも知れません。目的税なんて最低の考えです。そもそも国家財政の歳入と歳出を結びつけて考える必要などないのです。経済状態に応じて適切な額を徴税し、国家を維持発展させるために必要な額を拠出すればいいのです。差額は国債を使って調整するだけのことです。これがうまくいっているかどうかを測る数字は名目GDP成長率です。近年の我が国経済はデフレ傾向ですから、政府の施策は落第点ということです。

なぜデフレだと落第なのかといえば、経済活動によって生み出された財の価格が下がるということだからです。一方で、経済活動によらない価格、例えば公務員の給与、年金、生活保護費、などなどは高止まりします。これは働く者が損をする社会を意味します。このような社会が健全に発展することはありませんから、デフレは落第なのです。

このあたりが理解できていない者は為政者となる資格が無いのであり、その代表格が菅直人与謝野馨だということです。ですからこの者達は今すぐ首を吊って死ぬべきなのです。特に与謝野馨はデフレを好ましいと発言したこともあるどうしようもない愚か者なので、何度でも首を吊って死ぬべきなのです。